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だいこが行くぞ その6

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向かいのアパートから見えないよう遮光カーテンの後ろに身を隠して覗き見をしていた。30代の母親が3~4歳の男の子の頭を叩くのを見た。急に子供の虐待についてのニュースが目につくようになる。子育ての方法とか母親の鬱とかいう話題に興味が湧いてくる。他人事が急速に身近になった証拠である。

 

きっと母親自身も虐待されてきた人生だったんだ。ぶたれたり怒つかれたりする環境の中で育って、同じ様に暴力容認な亭主と出会って、子育てのストレスとか旦那の浮気とかに悩んで過ごすうちに心が荒み、自分でも気付かないうちに手が出てしまっているのではないだろうか。

 

子供は乱暴な母親に育てられ、小さな頃から暗い人生を送っているのかもしれない。子供ってその母親しか母親像というものを知らないので、自分を取り巻く状況の異常さに気付けない。もう少し大きくなって友達の家庭環境を知るまでは、小さな世界の絶対神は母親のはずだ。母親の気持ちを変えられたら二人の人生はきっと楽しいものになるはず。明るく笑顔溢れる生活を送れるだろうに。

 

気分が高揚してくる。新しい興味ができたのでそれに執着していく。現代はインターネットでどんな情報も入ってくる良い時代なので、自分の知らない知識が検索でどんどん入ってくる。想像を膨らませる安易なツール。私のお節介も同時にムクムクと顔を上げる。まずはお母さんと知り合いになって、家は近所なんだからお茶とかに招いて、ついでに子供も付いて来たら一緒に遊んだりして、近所の親切なおばちゃんの地位を獲得したら、お悩み相談室になって心の緊張を解していく。想像は膨らむ。どこかで見たドラマ仕立てで。

 

人助けをしたくて仕方ない。他人の人生を考えている時って幸せ。自分のことを棚上げして忘れていられるから。他人の不幸は蜜の味。辛い人生を送っているのは自分だけじゃないんだなと確認できる。あんな小さな子供が虐待されているなんて可哀想過ぎるし、虐待する母親だって本当は辛いのではないだろうか。

 

まてよ。虐待とは限らない。ワガママな子供についイラッとしただけかもしれないし、ちゃんとは見えなかったし、前後に何があったかは分からないから全部私の勘違いかもしれないし。子供は泣かなかったわけだし。しばらく窓際にそのまま立って考えを巡らせていた。ふと我に返る。理性が戻って来る。何をしているのだ私は。暇か。ストーカーか。

 

さあ、夕飯を作ろう。冷凍してあるご飯をレンジへ。週に1度5合炊く白米は夕飯で1合ずつ食べることにしている。週7日のうち、残り二日はパスタかうどんか焼きそばを作る。以前、頑張ってダイエットもどきをした時には炭水化物を抜いたが、夜寝付きが悪くなって体調悪化したので諦めた。昨夕切っておいたかぼちゃスライスを取り出す。買ってきたコチュジャンのチューブを出して使い方を読み始める。賞味期限も確認する。ひと月に2回は使わないと賞味期限切れで捨てる羽目になる。食材を捨てる悪にだけは手を染めたくないので、韓国料理が続くのかと少し憂鬱になる。買わなきゃ良かった。

 

スーパーの大安売りのシールの貼られた挽肉を開け、フライパンで炒め始める。おっと、かぼちゃをレンチンするのが先か。もやしと人参をごま油と塩で味付けてナムルにする。これを山盛りご飯の上に並べ・・。もやしを一袋ゆがくべきではなかった。ラーメン大盛りみたいになっちゃった。添え物となった人参ナムルの横にコチュジャンで味付けした挽肉を添える。彩きれいなもやし丼の完成。私流ビピンパを作ったはずだった。かぼちゃは揚げ焼きして挽肉餡をかけたら出来上がり。揚げ過ぎたので形が崩れ燃えかすみたいになったかぼちゃが餡に浮かぶ。いつも通り写真映えしない夕食が出来上がった。